稲や農作物の育成も困難になるなど長期に渡って復興の妨げになってたのですが、9月初旬に苗つけされたキャベツが大きく育ち収穫されました。
ここで収穫されたキャベツは「復興キャベツ」という名前を付けられて出荷されます。
「復興キャベツ」はボランティアやNPO法人の復興キャベツプロジェクトの支援で、津波の塩害を受けた仙台市太白区の農地で育成されました。
畑は、海水による塩を含むと、キャベツもそのままでは育ち難いので、畑に特殊なバクテリアを散布するなどして塩分濃度を下げて育てられ、上の写真の様な大きな玉のキャベツが収穫されました。
東北地方はこれからは寒い冬・雪の季節に入りますが、春になると普段なら、澄み切った地で品質の良い農産物が育つのですが、塩害を受けた沿岸の農地では、稲も育たないと農業を諦めかけている農家もおられるのではないでしょうか?
塩害を受けた畑でも、この様な普段と変わらない大きなキャベツが育った事は、他の農家の方への大きな励みになる事でしょう。
尚、復興キャベツプロジェクトの農商工連携サポートセンター(内閣府認証)への義援金はこちらで寄付を受けつけています。
オーストラリアはキウイが主産物ですね、その豪の通貨ならキウイ王FXがいいです。
一方このような、喜ばしいWADAI(話題)だけでなく、陸前高田の奇跡の一本松といわれる松が、海水の影響で根が腐り、回復が困難になっています。
陸前高田の沿岸には「高田松原」と言われた約7万本の防風林ががあったのですが、東日本大震災の津波で倒されたった1本だけが残り、奇跡の一本松と言われたのですが、海水による塩害で回復困難となっています。
一本松の樹齢は260年以上で高さ約30メートル、直径約80センチ、このような大木の松が7万本も並んでいたのですが、津波によって殆ど全て倒され、津波の凄ましさを痛感したのですが、それでも生き残った松です。左の写真。
12月に詳しく調査すると、根が塩分を含んだ水につかって腐り、人間に例えると「自分で息ができない状態」となり、今後の生育は困難となっています。そして、やがて枝や葉が落ちて、最終的には倒れるようです。
大津波で耐えたたった一本の松は「奇跡の一本松」を、かっては岩手県陸前高田市の景勝地だった「高田松原」陸前高田の復興のシンボルとして育ってほしかったのですが、塩害に耐えられなかったのは残念でなりません。
もし、生き残れば観光の名所となり観光客で賑わい復興に弾みがつく事は間違いなかったのではないかと思います。
ともあれ、今回の東日本大震災の津波は、沿岸の田畑などにも甚大の被害を与え、その大きさに痛感させられています。